宗教について 〜 人の生と死を考える 注68

公開: 2023年3月24日

更新: 2023年3月24日

注68. 戦略爆撃の歴史

戦闘が実施されている場所に、爆撃機を飛ばし、上空から普通の爆弾を落とすことは、戦争の一環として国際法でも認められています。そのような爆弾投下を、敵国の軍隊に対してではなく、一般の市民がいる兵器工場や、燃料貯蔵庫など、戦闘が行われていない場所にある施設を標的にして、爆弾を投下することを戦略爆撃と言います。第2次世界大戦では、そのような戦略爆撃がしばしば行われました。

アメリカ軍では、空軍を編成して、そのような戦略爆撃を積極的に実施すべきだと主張する人々もいました。第2次世界大戦末期になると、そのような戦略爆撃を、一般市民を標的に実施した方が効果的であると考え、日本の大都市を中心に、戦略爆撃を試みました。このことが、戦時と言えども許されるかどうかについては、米国軍の内部でも議論がありました。戦略爆撃のための大型爆撃機のB-29が開発され、1945年3月には、東京大空襲が行われました。

東京大空襲では、200機以上のB-29が、東京の下町上空で大量のナパーム弾を投下し、下町にあった民家をことごとく焼き尽くし、10万人以上の犠牲者が出ました。さらに、8月には、原子爆弾を搭載したB-29が、広島と長崎上空に飛来し、爆弾を投下しました。戦略爆撃は、武装していない市民を対象としているので、無差別攻撃と言えます。これは、明らかに、国際条約に違反していると言えるでしょう。

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